はじめに
ひすいこたろう著
に記されている
5人の侍について、
自分が忘れずに意識していたい部分を
アウトプットしていきます。
本日4人目
『ジョン万次郎』です。
漂流からアメリカへ
万次郎は1827年、
土佐国(現在の高知県)に生まれました。
1841年、彼が14歳の時、
漁に出た際に船が遭難し、太平洋上で漂流。
最終的にアメリカの捕鯨船に救助されます。
彼は船長のウィリアム・ホイットフィールドに引き取られます。
ホイットフィールドの故郷である
アメリカ東海岸のフェアヘーブンへと渡ります。
これが彼のアメリカでの生活の始まりでした。
アメリカでの学びと暮らし
アメリカでの万次郎は、
英語や数学、航海術などを学び、
アメリカの民主主義や自由の精神に触れました。
彼は、19世紀の急速に発展するアメリカ文化の中で、
西洋の技術や知識を吸収し、
これが後に日本に戻った際に大きな武器となります。
彼の異国での暮らしは、
単なるサバイバルではなく、
アメリカの社会や価値観を学ぶ非常に貴重な経験でした。
帰国と影響
1851年
万次郎は様々な冒険を経て日本に帰国。
鎖国中の日本において彼は異例の存在でした。
外国との接触は厳しく規制されていましたが、
彼が得た知識は、多くの人々に影響を与えた。
薩摩藩への影響
薩摩藩の服属地である琉球に上陸しました。
そこで英語で取り調べを受けた後、
薩摩本土に送られます。
薩摩藩では、万次郎一行を厚遇し、
開明的な藩主島津斉彬が直接万次郎に
海外の情勢や文化について質問しました。
斉彬の命により、
万次郎は藩士や船大工に洋式の造船術や航海術を教え、
その知識を基に薩摩藩は和洋折衷の越通船を建造します。
万次郎の英語や造船に関する知識は斉彬に高く評価され、
後に薩摩藩の洋学校(開成所)で英語講師としても招かれ、
藩の近代化に貢献しました。
土佐藩への影響
薩摩藩での取り調べを終えた後、
土佐藩の役人に引き取られ、土佐へ向かいました。
高知城下で吉田東洋らによる取り調べを受け、
その際に万次郎の話を詳しく記録した河田小龍は、
後に『漂巽紀略』を著します。
約2か月後に帰郷が許され、
11年ぶりに故郷に帰った万次郎は、
母と再会を果たしました。
その後すぐに万次郎は士分に取り立てられ、
藩校「教授館」の教授に任命され、
後藤象二郎や岩崎弥太郎など、
後に維新で重要な役割を果たす人物を教えました。
坂本龍馬への影響
土佐藩の絵師・河田小龍から伝え聞いた
万次郎のアメリカでの体験などは
その後の龍馬の思想・行動に大きく影響を与える
感想
幕末というか、歴史が大きく動く時は
奇跡の連続だと感じてしまいます。
勤勉で好奇心のある少年が、
カツオを獲りに行ったら流されて
捕鯨船に保護される。
その船長が優しく、面倒見が良い人だった。
10年間アメリカで学んで、望郷の念を捨てずに
帰ってきてくれた。
死罪当たり前の、日本で薩摩藩に捕まった。
他の藩では、切られて終わっていたかも・・・
土佐藩出身だったため土佐に戻ってきて、
河田小龍を経由して龍馬にも影響を与える。
1851年に帰国。
黒船来航1854年。
幕府にとっても、貴重な存在。
土佐藩は特に身分制度が厳しいのに、
直参・旗本に取り立てられる。
自分がさらりと流していた人々の
経緯・経歴を知るとこんなにも面白いとは
思いませんでした。
何よりも、幕末熱すぎる。
知らない人物が多いので、幕末に関しての
知識欲が高まっています。
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